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フィリップ・K・ディック「ユービック」感想

読書

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読み終ってすぐ、「 あ、おれ、フィリップ・K・ディックすきだ」と確信した。未読のみんなも読んでそれを確信してほしいと思ったので感想を書き散らしておく。

あらすじ

科学の進歩により、死者の肉体を冷凍して疑似的に精神を保つ『半生命』の技術が完成した、一九九二年。読心・予知・念動力といった力を持つ超能力者と、それらの能力を打ち消す磁場を形成できる『不活性者』と、それらを派遣するプロダクションの争いが頻発していた。

不活性者のプロダクション『ランシター合作社』を経営するグレン・ランシターは、とある依頼を受け、超能力のテスト技師であるジョー・チップと、規格外の能力を持った不活性者、パット・コンリー含む11人の不活性者のチームを引き連れ、月面へ飛んだ。しかしそこで彼らは爆弾による攻撃を受け、依頼が罠であったことを知る。その攻撃により経営者ランシターを失ったランシター合作社の面々はちりぢりになり、さらに謎の『時間退行現象』の脅威にさらされ、犠牲まで出はじめた。

一体誰が、どういう目的でランシターを計略にはめ、殺したのか。退行現象はなぜ、起こっているのか。

いくつもの謎が渦巻き、現実と虚構との輪郭も曖昧になってゆく中で、ジョー・チップはさまざまな退行現象による異常のなかに、死んだはずのランシターの幻影と、謎の薬品『ユービック』の存在を垣間見る。

感想

とりあえず言っておくべきは、極度の面倒くさがりである私がわざわざ自分で上のようなあらすじを書くはめになったのは、ひとえにハヤカワ文庫の裏表紙に書いてあるあらすじがあんまりにもヒドすぎるからだ、ということだ。まったく作品の『粗筋』を説明できていないのに、ご親切なことに物語の核心に触れるネタバレまでしてくれる。よくもまあこの短い文章と狭いスペースで、ここまで読者の怒りを買うものを書けたもんだなと逆に感心するぐらいだけど、それはともかくとして。

この小説を読んだ感想を一言で表現すると「ヤバい」。二言で表現しても「超ヤバい」とかになって、三言以上で表現しようとすると、こういう馬鹿みたいに長い文章になる。感動と衝撃の言語化にここまで時間がかかったのは、アニメ『花咲くいろは*1に匹敵する。『流れよわが涙』で一回ディックに馴染む作業をしていなかったら日をまたいで熱に浮かされていたと思うし、SF小説に慣れていなかったら、と考えるとぞっとする。それぐらい、とにかくヤバい。具体的に何がヤバいのか、大きく三つに分けて説明していきたい。

SFガジェット

『ユービック』のSFガジェットというと大きく分けて『超能力者』『時間退行』『半生命』の三つに分かれるけれども、『超能力者』に関してはあくまで物語を回す歯車のような機能しか果たしておらず(このへんについてはあとで詳しく書くとして)、たいして重要じゃないので省く。問題は、あとのふたつについてだ。

『時間退行』はその名の通り、時間が退行する現象のことだ。主人公たちが存在する世界の時間は作中でどんどん退行し、テレビをダイヤル式ラジオに、CDプレイヤーを蓄音機に、ジェット機を木製プロペラの複葉機に変え、ついには七十年以上を遡って、新聞がフランス軍のジークフリート線への攻撃を報じる。これがまず作品世界の現実から確かさを奪い、より不条理で残酷なものとする。また、時間退行現象は主人公たちの肉体や精神にもそれがダイレクトに影響する。たとえば自分の知らないはずの過去の知識をいつの間にか持っている、身体的機能そのものが『退行』して死に至る、というような形で。これにより『時間退行』は、登場人物たちに死という、作品のテーマに当てはめれば『現実の消失』の近接を鮮明に味わわせるのだ。

『半生命』はあらすじに書いた通り、死者を疑似的に生かして精神を維持させ、生者との会話すら可能にする技術だ。それによって生かされた人間『半死者』は冷凍されて眠り、幻を見る。あらすじ(ひどい)にはまったく書かれていないこのガジェットだけれど、実はこれこそが『ユービック』というSF小説の根幹をなすものだ。生と死の狭間にある『半死者』の存在はその境界をあいまいにし、現実には死んでしまった彼らは自分が生きているかのような夢を見て、現実の輪郭を掻き消してゆく。いわば『時間退行』において揺らいだ現実にとどめを刺し、完膚なきまでに叩きのめすものといってもいい。

これらふたつのSFガジェットは、『ユービック』の掲げる抽象的な命題を一切損なうことなく表象、具体的に物語に関わらせる。SFかくあるべしと言いたくなるその鮮やかさは、著者の技量のすさまじさを実感させてくれるものだ。

テーマ性

『ユービック』は物語の主軸が分かり辛い作品だ。私がネット上でざっくりこの本の概要を調べて実際に手に取り裏表紙のあらすじ(ひどい)を見て最初の100ページくらいまで読んだところまでは、この物語の主軸は妻を失ったグレン・ランシターの感傷と、普通の人間と超能力者・不活性者との相違、とかそのあたりだと思っていた。その前に読んだ同著者作『流れよ涙、と警官は言った』が、そんなふうにして、愛する者を喪った男の感情と、遺伝子操作により生み出されたスイックスと呼ばれる能力者とそれ以外の人間との相違を描いた作品だったからだ。また随分前に読んだ『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』についても人間とアンドロイドとの対照的な描写が朧げながら記憶に残っていたせいで、ディックという作家の命題は『人間とは何か』、という所にあるものと思っていた。

けれども違う。グレン・ランシターは本人の死後そのパーソナリティについて殆ど描写されなかったし、超能力者や不活性者も、SFガジェットの項で述べたように作品を回す一つの器具でしかなく、その精神構造、人間との差異の描写なんか、ないに等しかった。

主軸は私が思っていたのと全く違うところ、『時間退行』によって暴き出される「現実の虚偽性」にあり、そして先ほど述べたふたつのガジェットはどちらもその現実の虚偽性を暴き出すために作用していたのだ。

これがまず私のフィリップ・K・ディックという作家の見方を大きく変えて、衝撃を与えた。人間の持つ情愛や感傷といったものを慈しむある種ハードボイルドなディック像は崩壊した。代わりに立ち現われてきたのは現実の現実性を一切信用していないニヒリストだ。彼は『半死者』という、作品世界の中の『虚偽の現実』を用いて作品世界の現実性を崩壊させ、読者の現実世界が持つ虚偽性を暴き出す。この類のSFにしては映像的で分かり易い筋書をつかって、恐ろしいほど難解で、つかみどころのないテーマを展開する。

このヒネクレっぷり、作品構造の作為的なちぐはぐさがかなり私の中の中学生*2を劇的に揺さぶり、「ヤバい」以外の言語を奪ったのである。

物語構成

テーマ性のところで書いた通りだけれど、『ユービック』というのはなかなか物語の本筋の掴み辛い作品である。それはもちろんあらすじ(ひどい)(まだ言うか)のせいでもあるけれども、単純に作品の物語のつくりが特異だからというのもある。

結論だけ先に述べると、ユービックの物語は一貫性がなくて、きちんと収束しない。どっちかっていうと駄目な感じの特異性だ。100ページくらいまではさっき言ったように本当に超能力者と不活性者との戦いを描く作品のように思えるし、かと思えばそこから30ページほどは謎の能力者・パットとそれに立ち向かうチップの物語に見え、けれどそこから物語が展開すると登場人物の現実が崩壊していくさまのみを描いているように感じられて、ラスト100ページに差し掛かったところでようやっと「現実の虚偽性」というテーマがきちんとつかめて、タイトルである『ユービック』も表だって目立ってくる。勢いで書いているだろう、と思わせるような構成だけれど、その割に終盤の伏線回収は力押しだが技巧的であり、そこまでふんわりしていた自分の中の『ユービック』の世界観が落ち着いていく感覚が心地よい。しかしラスト1ページで、その落ち着いた作品世界の真実に加えて、こちらの現実まで叩き壊してくる……。

とまあ、簡単に言うと、とにかくどういう話なのか分からない構成だ。筋が通ってないしぶん投げた伏線もある、なんなら一番好まないタイプのストーリーかもしれない。けれどこの『ユービック』に関してだけは、それでいいのかもしれない、と思う。だってこれは「何が正しいのかわからない」という話であって、「これが正しいのだ」と解き明かしてすっきりするミステリのような話でも、「これが正しいんじゃないのか?」と提示してくれる実用書のような話でもないからだ。

ハチャメチャで滅茶苦茶、うまいかまずいかで言ったらまずいけれど、それでも読ませるし、それだからこそ読ませてくれる。そういう物語の在り方は私にとってははじめてのものだった。こういうとナンだが、私が『ユービック』を読んで受けたのは「こんなひどい物語が面白いなんて……!」という衝撃だ。それは、小説だけに限らない、すべての創作物を受け取るうえで、「物語の一貫性」ということにあんまり拘りすぎていた私の世界を、一気に広げてくれた。そう言う意味で私は最初に、『ユービック』に受けた衝撃の大きさに関して、深夜アニメのおもしろさを教えてくれた「花咲くいろは」を引き合いに出したのだと思う。……自分の書いた文章に対して、思うって変だな。

まとめ

というわけでまあ結局4000字近く、明らかに書きすぎているけれど、私がどれだけこの『ユービック』に衝撃を受けたかはなんとか表現しきれた感じがあるし、ここで終りたい。あんまり文章書くのに没頭しすぎて、試験期間中であるという私の現実も消え去りかけている。誰か助けてくれ。

*1:PAワークス制作、2011年放送のオリジナルアニメ。私のはじめてきちんと観た深夜アニメで、深夜アニメ、青春モノ、美少女モノ、その他さまざまのジャンルへ私を導いてくれた。この作品との出会いはいまだに、人生最大の転機である。こう書いて思うけれど、私の人生はちょっと起伏に欠けすぎている。

*2:過度なひねくれたがり。『水槽の中の脳』、『世界五分前仮説』とかの思考実験大好き。