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自己陶酔と回想、及びふたたびのドーナツ

今日は良く晴れた良い休日だけど、昼まで寝て、起きても部屋に寝っ転がって、こうやってネットサーフィンに興じている。そうすると当然ながら、なにやってんだ俺は、という気持ちが浮かんできた。

クラスメイトは皆様きっと今ごろ私不在の学校世界で、昨日より速く投げられるようにとか先週より良い音が出せるようにとか前回よりいい結果を残せるようにとか考えて部活動に励むなりなんなりして汗とか涙とか流していることだろう。その耳にはあの、金属バットのかきーんと鳴るのとか、テニス部の文字に起せない掛け声を叫ぶのとか、吹奏楽部がしらない曲の練習をしているのとかが入り混じった、学校の音が聞こえているはずだ。しらんけど。

一方、私。今日も今日とて自室のフローリングに寝っ転がってずいぶん昔に読み終えた漫画本を読み返したりtwitter上に自分語りを投下しまくったりという行為に興じている。耳にはイヤフォンがすっぽりとはめられていて、どっかのバンドの聞き取れないけど美しいはずの日本語と音割れしまくってるけどうまいはずのギターとが骨伝導で聞こえている。その脳みそに向上心は微塵もなく、ただ私はぼんやりと、将来の不安と、誰とは言えない「みんな」に対する劣等感と、それからそんな自分への屈折した陶酔とを、どこへやるでもなく抱え込んでいるだけだ。

イヤフォンを外したら狭い部屋には痛いほどの沈黙が広がって、差し込む日光に輝く塵のかずかずが一瞬空気中で静止したように思ったけど、当然のように気のせいだ。その静けさの中でも、「なにやってんだ」の自問はあいかわらず鳴りやむことがなくて自己嫌悪は延々生成され続ける。でもこういう時間とそれを過ごす自分のことは、けっこう好きだったりして、吐いた溜息には自分への失望や心労だけじゃなく、倒錯した満足感と陶酔も混じっていた。

 

ところで、おとといは3.11で、東日本大震災からまる五年が経った日だった。

東日本大震災が起こった当時の私は、まだ小学六年生だった。自分の周りでは何も被害がないのにふさぎ込んだ。同じ国でとても大変なことが起こっていると解っているのに、そこへ駆けつけて何でもいいから人の助けになりたい、と思って立ち上がれない自分が腹立たしかったのだと思う。大好きだったミスタードーナツハニーチュロも喉を通らなかった(またドーナツの話か)。今考えると情けない話だけど、まあ、ランドセル背負いながら世界を斜に構えて見てるつもりで悦に入ってるガキの精神強度なんてのは、まあ、えてしてそんなものだ。

しかし、そういうことを思い出してると、いまの私の脆弱な精神でも、随分強くなったものだなあ、と思う。偽善でも立ち上がらなかった過去の自分への怒りとか、もはやそんなこと思いもしない現在の自分への軽蔑とか無いわけじゃないけど、そういうおのれの悪徳と正面から向き合わないで誤魔化す術がいまの自分にはあって、その御蔭で3.11にも何を躊躇することもなくミスドゴールデンチョコレートとかモリモリ食べることが可能だった。まあ、簡単に言うとただひねただけなんだけど。

 

ああ、あと自分の精神の成熟でいえば、先日引っ張り出してきた、いまの高校に入学してから二日後にしたこんなツイートの話とかもしたい。

我ながら、よくもまあ何度読んでも趣深い文章を書いたものだ。たった二日間で既に周囲の人間の知性を計り終えている二年前の私の洞察力は凄いぞ。

今の自分もじゅうぶん恥ずかしいけど、さすがにこういう、明らかに中学生くさい感性をひけらかすようなツイートはしてないと思う。この頃の私はまだ、特別な存在になれない自分を恥じて、奇矯な振る舞いによって特殊な存在になることに逃げていた典型的な中二病患者で、当然のように周りを見下していた。

いまの私はまだ中二病から抜け出せてはいないけど、これでもだいぶマシになったと自分では思う。少なくとも上のツイートをしていたころ*1よりは。クラスメイトはみんな(苦手だけど)優しくて尊敬できるところがたくさんあるし、特別への渇望ももうそんなになくって、特殊であることをある程度恥じられるようになってきた。

 

でも、私が昔と比べて一番成長したのは、こういう諸々の自己嫌悪を引き起こす事象を、楽しめるようになったことではないかと思う。

もちろん自己嫌悪がないとは言わない。誰かを助けたいという気持ちが沸かない自分には腹が立つし、いまだに中学時代のみじめな精神性を捨てきれていないことは情けなく思うし、こんな天気のいい休日に家に引きこもってネットサーフィンに興じているような現状に不満がないわけじゃない。

でも、そういう鬱屈とした感情も含めて、私としては結構楽しかったりする。だって母親のザップするTV画面に映る被災地の現状を死んだ眼で眺めながらコーヒーを飲む私はよそから見ればいかにもネクラの高校生という感じでおもしろいし、中二病をしきりに分析しながらいまだに抜け出せていないこの状態はあの頃求めていた『特殊』にかなり近いし、晴れた空を窓越しに眺めながら食べる、クリスピークリームドーナツのオリジナル・グレーズドの殺人的な甘さは最高だ。

今の生活は正直昔思い描いていたものとは違うし、今だって満足できてるわけじゃない。それでも中二病の残骸や父親の幻影から必死に逃げまどいながらこんなメチャクチャな自分語りをネット上で展開するこんな自分も悪くないと、ようやく思えるようになってきたのだ。

あと数日で終業式が来て、私のこんな高校生活も、まったく実りのないまま三分の二が終わってしまう。でも、こういう「それはそれで」の精神を持てるようになったことだけはまあ、ここまで二年間の成果だといえないこともない、かもしれない。

*1:書きもしないラノベの設定を考え、良さのわからん洋楽を聴き、にがいコーヒーを我慢して飲み、近所のパン屋さんのあんぱんばかり食べていた。そのあんぱんは牛乳とともに喰らうと極上で、今でも好きだ。