デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ

春休みは昨日が最後だったので、まあ当然というか、今日は約二十日ぶりに制服に袖を通して学校へ赴くことを強制され、ロックンロールにあこがれるわりに反骨精神に欠ける私はそれに唯々諾々と従った。

目覚まし時計と母が華麗なコンビネーションで私を起こしたのは七時ちょうど。こんなに早く起きるのは本当に前学期の終業式以来であった。春休みというものは決して長くはないけれど、午前三時に寝て午後一時に起きる自堕落な生活習慣を体に馴染ませるには充分すぎるほど。昨日もその生活習慣に従い午前三時に寝た私はそのときまだ四時間と眠っていなかったから、頭痛と残留する眠気はすさまじく、朝食代わりのミルクコーヒーを二杯飲み終えるまで半分死人状態であった。

 

メインイベントであるはずの始業式の記憶は一切ない。着席と同時に睡魔に意識を刈られたものと思われる。教師の離任式も続けて行われ、定年退職するベテランの先生の涙をさそう素晴らしい挨拶や、今年から行われる大きな教育方針の改革に関する説明もあったらしい( と、あとでクラスメイトから聞いた)。しかし名前と顔が一致しないような、ただのよく知らないオッサンのために割く時間はあいにく私の忙しない人生には存在していないし、あと一年足らずでオサラバする学校の教育方針なんて知らない芸能人同士の結婚報道並みに興味がない。

最後の全校生徒に向けた起立・ 礼の合図で覚醒を余儀なくされ、そのままふらふらと教室へ戻った私を待っていたのはロングホームルーム。周りのクラスメイトには私の目に映る限りたいした変化がない。髪を切っていたり、切っていなかったり。すこし日焼けしたり、していなかったり。ただ顔持ちには新年度への期待か受験への不安か、皆一様に若干の緊張が含有している。

そんな諸々を心の底からうらやましく思う私は、前髪が野放図に伸びて墓場鬼太郎のごとく、肌は日焼けどころかむしろ青白さを増していて、そのうえ顔持ちはくさったしたいもかくやという弛みっぷりである。何処で差がついたのだろうと漠然と考えるその指向速度さえ冬の蠅のようにのろのろとしている。

しばらくして教室へ入ってきた担任の先生*1はまず、全員が教室に揃っていることへの喜びを口にしたあと連絡へ移った。配られるいくつかの書類とあんまり興味がないし実際関係のない連絡事項のかずかず。そんなものは伸びすぎた前髪をアイマスク代わりにまた目を瞑っているとすぐ終わった。

途中、新年の意気込みを原稿用紙一枚に書けという指示が出たのでそのときだけは起きていた。しかし原稿用紙一枚にまとまる意気込みなんてものは果たして意気込みと言えるのかどうか。思うには思ったがそのままを書くのはやめておいた。そういう奇矯な振る舞いでいちいち自分の中の中学生を揺り起こすのはあまり賢明な行いではない。ゲームを控えますとか授業中寝ませんとかそういう適当*2な文言でお茶を濁した。

 

ホームルームも終わるころには午前十一時を過ぎ、二時間は軽く寝たわけだから眠気はずいぶん解消され頭もいくらか冴えていたが、起き抜けに四十分と少し歩いたことで疲れた私は電車で帰ることにした。

家の最寄駅まで戻ってくると駅の前に長い行列ができている。何かと思えば通学定期の申し込みらしい。そこに並ぶ学生たちの制服は私の家から一番近い、けれど学力の不足によって進学を諦めた学校のもので、少々複雑な気分になった。
そこに畳み掛けるように私は、桜の樹が満開に咲いているのと出くわした。立体駐輪場すぐそばに咲き誇るそいつの花びらは薄絹の切れ端のようで、ひらひらと落ちて道路に薄紅色の海をつくる。

私が思わず立ち止まると、花びらの集積の上を一台の自転車がさっと通って、車輪のスポークが巻き起こした風が花びらを誘う。十数枚がそれに応えるが、秒速五センチメートルなんて速度で降りてきた彼らに自転車に追走する力なんてものあるはずもなく、数秒で力尽きてしまう。

いかにも情趣あふれるその光景に触発され、そのフラッシュバックするいくつかの記憶。その中には今朝見たクラスメイトの爽やかな顔つき、通学定期の列に並ぶあの学校の生徒の制服まで混じっていて、容赦なく私の自意識を蝕む。ぬるいリセット願望が急激に膨れ上がってはちきれそうになり、それにさらに拍車をかけるのは脳内でループする『 旅立ちの日に』の前奏のピアノ。

いやいやその手は食うか、と心の中で叫び現実世界で誰に向けるでもない苦笑いを浮かべた私はすぐさま高校二年間のすべてをかけて形成した自意識保護プログラムを〇コンマ一秒で起動させ、桜の樹の下にグロテスクな動物の屍を幻視してその美しさを減退させ、イヤフォンをはめて外界から精神をプロテクト、その場をすぐさま立ち去った。

そのときイヤフォンで聴いていた曲の名前はタイトル通り。だから帰る途中、私が「 キャットフードぶちまけた気分ってなんだよ」と上の空になって二回転びかけたのはチバユウスケが悪い。

*1:三十前後の元気溌剌とした国語教師。とてもよい人なのだけど、私にヘンな期待を寄せているらしい。お世話になっている方にこんなことを言うのもナンだが、人を見る目がない。

*2:むろん、消極的な意味で。