アニメ『 ギルティクラウン』を見ました

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ギルティクラウンは中学のとき途中まで観て投げたんだけどそのときの記憶を完全に失っていて、観直したいなーと思っていたらニコニコで一挙放送がやっていたんでこれ幸いと飛びついたら飛びついた先でそのまま離れられなくなりました。そのわりにはこの記事の投稿が遅いが。まあそれはともかく。

 

まず書いておくべきなのは、ギルティクラウンのストーリーはあんまりうまくないということだろーか。展開は唐突で力押し、一クール目に連続する一話完結の回は毎回ワチャワチャしている間にいつの間にか終わっているし、重要回にかぎって説明不足このうえない。結局最後まで設定は不明瞭だったし最終回なんか何が起こったのかちょっとよく分かっていない。よくよく思い返してみれば、設定の矛盾や拾いきれていない伏線、使いあぐねて放置されたらしいキャラなどもちらほら……。これを「 よくできている」とは、正直なところ言えないように思う。

でもギルティクラウンはじゅうぶん面白かったし、観ている最中の体感の楽しさで言えばいままで見てきたアニメの中でも一位二位を争うものだった。なんでかなーと自分でも不思議におもいながら、一応特長をみっつ並べてぐにゃぐにゃ言って、以下、感想としてみる。

 

展開速度

速い。とにかく速い。どれくらいか、第一話を例にとってみると、

桜満集・ 楪いのりの出会い→ 連れ去られるいのり→ 集は残されたシリンダーを手にテロ組織「 葬儀社」のもとへ→ 戦闘に巻き込まれ、いのりを助けるため飛び出す→ 謎の能力に覚醒……

ここまでを一話でやり切りしかも舞台設定の説明までガッツリ挟んでくるくらい。このスピードがしかも、全二十二話を通して一切死なないどころかむしろ加速していくのだから恐ろしいったらない。そりゃ破綻も出るよなと。粗に納得性が出てくるくらいのスピード。

くわえて展開はカタルシスの連続する起伏に富んだものだから、物語はまるでジェットコースターのような体感を生むし、前述したようなストーリーの粗も勢いに圧倒されて視聴中はまるで隠れてしまうし視聴後も八割がた忘れている。*1

一話目の超スピードからなお加速し、描写の粗は吹き飛ばして視聴者を引き付ける、ギルティクラウンのこの疾走感は類まれなるものだ。これが意図的なものか否かは分からないが、物語の面白さ、というか楽しさ、に多大に影響していることには議論の余地がない。

 

桜満集という主人公

ギルティクラウンは、 すぱっと一文で表すなら、「 桜満集が罪を背負う物語」になると思う。

少年少女が幾度となく間違えて、その罪をどう背負っていくか……というのならほかにも例があるように思うけれど、ギルティクラウンの独特さは、さまざまなキャラクターが間違うなかで、けれどもそのまちがいの罪を背負っていくドラマが、主人公の桜満集ただ一人に絞られているところ、そしてそれだけ重点的に描いた主人公を、断固として救わないところにある。

 

なぜ集以外のキャラクターの葛藤が描かれないのか。*2それは彼らが持つ、若者らしくないくらいに強い目的意識のためだろう。桜満集が飛びこんでいく「 葬儀社」というレジスタンス集団は、GHQの打倒という確固たる目的のために動いていて、それとは別に、メンバーそれぞれが強い信念や感情に根ざす個人的な動機をも持っている。それは自分が犯す罪をそのままに背負う強さ、でなくても跳ね除ける口実となる。そのうえ葬儀社に限らずギルティクラウンのキャラクターは往々にして非常に異常事態に対する適応力がむやみに高いから、これが彼らの葛藤のドラマが発生しない理由になる。

けれど、桜満集はそのどちらも持たないままに葬儀社へ飛びこんでいく。そこに所属したのは偶然から手にしてしまった特殊能力のせいだし、組織の行動理念だって理解する以前にそもそもよく分かっていない。しかも、物語開始時点では優柔不断で気弱なただの高校生で、個人的にも「 自分にもなにかできることがしたい」という曖昧な目的しか持っていなかった。だからどうしても罪を背負えなくて、楪いのりへの精神的依存で誤魔化してみたりする間にもどんどん運命に絡め取られて、背負うべき罪は増えていって、またうじうじして……。そんな序盤の展開は、「 桜満集はふつうのやつなんだ」と何度も何度も言い聞かせられているようだった。

桜満集は、この類のバトルモノの主人公ならふつうここから何らかの目的を獲得していくだろうところで、悲愴なことに、それをしないままにただただ罪を背負う覚悟だけを固めていく。友達を利用する自分の在りようを疑えば、その罪を背負う決心をして、誰かに裏切られて絶望すれば、その裏切りすらも受け入れる覚悟で立ち上がる。残酷な現実に立ち向かわずそれを否定もせず、ただそこに適応しようとあがいてあがいて、「 ふつうのやつ」の跡形も残らないくらいどんどん人間性を失くしていくその姿の悲しさがぼくを惹きつけた。しかも集が適応しようとする現実は、彼を不幸にしようと動くのだ。見ていて何度も、そんなの投げだして逃げちゃえよ、そのほうがずっと幸せだよと、言ってやりたくなった。実際言った。家で。ひとりで。

 

ふつうの、むしろふつうより少し駄目なくらいの高校生の少年が、言い訳にできる一切の目的を持たないまま、罪を受け入れる痛みに耐え続ける。そしてその中で幾度となく間違えて、人間性を限界までそぎ落として、なのに最後の最後まで報われない。

ギルティクラウンはそういう、あまりにも主人公に厳しすぎる物語だ。彼が過酷な現実のなかでこころを摩耗させながら、それでも最後まで心のよりどころとした楪いのりが( 集のいないところとはいえ)その姿を「 誰よりも人間だった」と評したのは、この作品のなかにある数少ない、桜満集に与えられた救いだったように思う。

 

画面演出・音楽

うっかり書くのを忘れて最後になったけど。ギルクラはアニメーションとしては文句なしの完成度を誇る。よく話題になるのは四話、十九話あたりの戦闘シーンやOP映像だけど、それに限らず毎回戦闘は派手でおもしろいし、キャラクターもかわいく動く。画面演出の簡潔さ・ドラマティックさは物語のスピードに拍車をかけるもので、毎回のヒキもうまい。

音楽もとてもいい。EGOISTによるOP・ ED・ 挿入歌はどれも何度でも聴きたくなるし、劇伴も極上。澤野弘之の劇伴というと、『 キルラキル』『 七つの大罪』など目立ち過ぎている事もちょくちょくあるしNHKで流れるとビックリしてしまうくらいとにかく味付けが濃いのだけど、ギルクラくらい尖ってややこしい作品だとこれがちょうどいい。曲名も比較的ふつうだし……。

*1:だから、おぼえてる二割をいつまでも気にするか、スピード感に酩酊して忘れてしまうかが、その人がギルティクラウンを好きになれるか否かの分け目になるんだろう。

*2:展開スピードの弊害で出た描写不足といってしまえばそれまでだけど。