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田中慎弥『 切れた鎖』を読んだ

まえに読んだ『 共喰い』の長い感想をこっちで描こうと思って結局断念してしまったので、リベンジ的な意味も込めまして、短編ごとにぼつぼつと。けっこうガッツリネタバレをするけど、田中慎弥の小説に意外性を求めるひとはおるまいと思っている。

 

不意の償い

恋人と初めてセックスをしていた丁度その時に、火災で両親を喪った男。その恋人と結婚して彼女の妊娠を知り、性行為へのコンプレックスや嫌悪を募らせ、自分が子供を持ち親になることに不安を抱いて、次第に狂気を帯びはじめる。

おもしろいのはやっぱりその「 狂気を帯びはじめる」描写。それが始まっても男はいつも通りに仕事をして妻と会話して生活していくんだけど、でもその様子が描かれるモノローグは加速度的におかしくなっていく。街には醜悪な牛や羊が、男の顔をした犬に残虐な儀式を行っており、警官は男に「 あなたの妻が産む子供は本当にあなたの子供か」と問いかけ、至る所で男の両親を殺した火事が起こっていて …… グロテスクな幻覚を描きだすモノローグはドラッグ小説もかくやの完成度で(まあドラッグ小説よくしらないけど)、著者の腕前がうかがえる。たぶん田中慎弥、文章がうまいというよりかは、文章に書くものごとを適切に引っ張ってくるのがうまいんだろう。

物語については、主人公の男の狂いっぷりはトラウマに釣り合わなくって「 そこまで思いつめなくても」と思ってしまうくらいであるし、セクシュアルな部分もいまいち書き切れていないようであんまり整ってはない。ただラストシーン、男が出産間近の妻を自動車で病院へ連れていくシーンで、そこまでどんどん悪化していった男の狂気が突然ふっと消え、妻に自然に感謝の気持ちを抱き、なんだか爽やかなオチがついて終わってしまうところが、作者の女性に対する劣等感、男性的部分に対する嫌悪のようなものがうかがえておもしろい。これに限らずどうも田中慎弥の描く男性は弱くてふらふらしていて、女性は強くて揺るぎない。この極端さがいかにも薄気味わるくって、ぼくは好きだ。

 

主人公はタイトルまんま、人間のような自我意識を生まれもってしまった、カブトムシの蛹。彼は土のなかで見る他のカブトムシたちの性交渉に死体として知っている母と見たことのない父の影を重ね、それを恐れる。いつまでたっても成虫になれないまあま、土のなかで角ばかりがどんどん育って、ついには一本の樹となってしまう。

かなりおもしろい。たった二十ページだけどすごい存在感だ。こんなのも書けるんだこのひと、と、ついついびっくりしてしまう。

この小説のテーマはなんだろーかと、しばらくうんうん唸ってたんだけど、文庫本の裏表紙に「 社会化される自己への懐疑」というとてもしっくりくる表現を見つけたんでそれをそのまま持ってくることにした。

たぶん主人公の蛹(なんかすごいことばの並びだな)が地中で見つめつづける性交渉がそのまま「 社会化」、森という社会の運営に子をなすことで貢献すること、を意味しているんだろう。そして蛹はそれを怖がり、自分はあんなことはしたくないと、社会の一部として動くことをきらう。そして成虫にはならないまま土の中にいることを選択するけれど、そのせいで(と書いてあった)角はぐんぐん伸びて、ついには一本の樹という、社会の一部分として森に取り込まれてしまう。そのとき蛹が夢見るのは、この角が折れ、雄としても雌としても認められず、哀れまれ、疎外されてもいいから土の上へ出ることだ。

カブトムシとそのほかの虫がつくる森という一つの社会、そのなかでただひとり自我意識をもってそのしくみに疑いを抱いた者すら、むしろそのために社会に組み込まれて身動きが取れなくなってしまう。人間は社会からのがれること、自己の社会化をまぬがれることなどできないのだと、なんかそういう感じのまとめ方でどうかなー。寓喩小説って慣れてないからどうにも。

 

切れた鎖

没落してしまったかつての名家・桜井。一人娘の梅代は、娘の美佐子と孫娘の美佐絵の三人で古い家に暮らしている。ある晩美佐子がいつものように男のもとへでかけたきり戻らなくなる。梅代はそれをきっかけに、行方知れずの夫のこと、彼が走った隣地の教会との確執を回想し、美佐絵は自分でも自覚していないような、母に対する憎悪を垣間見せる。

古い。あらすじまとめながら、これほんとに2008年の作品か、といぶかしんでしまうくらいの昭和テイストだ。崩壊する「 母」、旧家の抑圧。逆に新鮮に感じるくらい古いテーマ取りで、もうわざわざ言うべきこともないというか、あんまりストーリーについて言葉を並べたてるのも野暮な感じのある小説だ。平坦で盛り上がりのないストーリーのわりには展開を急きすぎた感じがあるって、文句くらいはつけられるけど。

ただ書くべきだと思ったのは描写について。梅代がながめるかつて桜井の家がつくったコンクリートの地平は、もうすでに繁栄もどこかにいって、もっとも華やかなものが新しいファミリーレストラン、みたいな凡庸な海辺の地方都市なのだが、これがたいへんうつくしくうつくしく描写されている。梅代の回想をうながす風景もいちいちきれいに描き出されていて、かつて夫からプロポーズを受けた棄てられたバスのなかをのぞきこむシーンなどとくに耽美だ。

行き詰まった街、むかしの思い出がおかれたままの場所、そういう停滞した時間が横たわる情景は、梅代の精神を追いつめていくものなのに、どうしてか美しく描写されている。そこで思い出すのは時間=川が流れ続ける街をこれでもかと汚らしく凄惨に描いた『 共喰い』の描写。止まったままの時間はうつくしく、流れていく時間は残酷に。そういうふうに関連づけて、あれはこの『 切れた鎖』の延長線上にあるものだったのかな、と考えてみるとおもしろい。