精神的整頓

午前中いっぱいをつかって部屋のクローゼットを整理した。理由はお察しの通り受験勉強からの逃避だ。勉強しなきゃと思うと部屋を片づけたくなる、という学校でよく聞くあるあるに、これまで勉強しなきゃとか微塵も思ってこなかったぼくは、いまやっと同意した。実際に自分の体も動いて部屋もみるみるきれいになって成果がはっきりとわかるし、かといって勉強ほど嫌でもないし、なるほど、部屋の片づけはたしかに勉強からの逃避にはうってつけの行為だ。これからは勉強がいやになったら部屋を片づけることにする。受験が終わるころには、ここの部屋はホテルのようにきれいになっていることだろう。そしたら大学には落ちているけど。自室のうつくしさと進学先、どちらを優先するべきか。むつかしい問題なので考えるのに一年ほどかかりそうだ。

 

クローゼットはまあ当然のごとくひどい有様だった。小学校のときから、母親の目を逃れるためとか自分でその存在を忘れるために突っ込んできたさまざまがぐちゃぐちゃに蓄積して、すさまじく雑然としている。おまけに、くさい。カビとホコリの黄金タッグが絶妙なコンビネーションでぼくの嗅覚を破壊せんと挑みかかってきた。むせた。いそいで窓を開けた。

そんでも意を決して片づけを決行する。とにかく眼についたものを引きずり出して必要なものかどうか判断していくと九割九分九厘は必要じゃないものだった。押し付けられた文芸部の部誌。むかし気に入っていた服や中学の時の通学鞄がカビを生やして出てくる。失くしたと思ってたデジタルカメラの充電ケーブル。BUMP OF CHICKENの歌詞カード。ビー玉が五個、おはじきが十二個、オセロの駒が一枚だけ。いつのかわからないお茶のペットボトルは振るとちゃぷちゃぷいったので、目を背けて息を止めながら中身を洗面所にあけ、捨てた。むかし捨てそこねたもの、処理しあぐねたもの、いつか必要になると思ったもの。そんないろいろと対面してはゴミ箱へ移していく。むかしの自分と向き合っているような、このクローゼットには滞った時間が堆積しているような錯覚に陥った。体から遠ざけながらゴミ箱へ運んだわら半紙の、カビが時間を表象している。

 

途中、父の著書がかたまりでごそっと出てきて、ちょっとどきっとする。父親は本を出すたびぼくに一冊渡して、読んでおけ、という。でもだいたい経済学の小難しい話や哲学のうさんくさい話ばっかりだから読まないし、とりあえず部屋にうっちゃっておく。それを一度母親に見つかって、貰うなそんなもん、と激昂されたことがあり、それ以来ビビってクローゼットに押し込んであったのだった。

どうする、と母親に聞いてみる。『 なんでも鑑定団』を見ながら半笑いで、ああ売っちゃえ売っちゃえ、と答えた。両親の関係も時間の経過のおかげで、いくらかよくなっているのかもしれない。

 

燃えるごみは部屋のゴミ箱へ、ペットボトルは洗って分別、不燃ごみは勝手口の外、衣類はとりあえず洗濯カゴにと、二時間ほど作業を続けると、カビとホコリの臭いはほとんどなくなって、掃除機と雑巾をつかって埃や汚れを取り除けば、なにか空いたスペースにものを入れてもいいくらいにはきれいになった。これだけ整理されてりゃ引越しのとき楽だと、思ってから気づいたけど、この家この部屋に家族と住むのもあと十か月もないんだった。やった形跡のまるでない進研ゼミのテキストがゴソッと出てくる、小学六年生八月号から中学一年生五月号まで。このころのぼくはきっと、この部屋に自分は永遠に住み続けるから、母親がこの部屋に勝手に入ることなんかないはずだから、手つかずのテキストをここに隠したんだ。いつからぼくは一人暮らしを現実的に考えられるようになったんだろう? 思い出そうとしながらぼくは、すでに自炊の心配をしていた。その前に大学に受からなきゃいけないんだって、いつになったら理解できるんだろうかな。きのうの模試の問題冊子をてきとーに見直し、進研ゼミのテキストと一緒に縛って、古紙回収に出す。