時計回りの

グラウンドがきのうの雨で濡れていること、クラスメイトが大声で、こんなに晴れてんのにと、嘆く。窓外、たしかに運動場は水たまりが世界地図みたいにたくさんできているのに、空にはきれいな入道雲が出ていて雨の気配なんて微塵もしなかった。明日も雨らしいよと誰かが言う。もう六月だということをぼくは今更のように意外に思う。というかもうテスト二週間前だ。まー、もうテスト対策なんてのはやめたからそんなに気にもならないけど。

センター試験まであと何日か、右斜め前の席で、計算しているひとがいる。大学受験が近づく、そのことを思うたびに、沸きあがる感情は不安とかやる気とかじゃなくて、漠然とした焦りだ。あとはこれまでの人生についてのいろんな後悔。もっと勉強しときゃよかった、もっといい高校入っときゃよかった、はじめ、さっさと死んどきゃよかった、など。もろもろ。ぼくが見ているちょうどそのときに、黒板のうえの壁に立てかけられた十二時〇〇分を示した。長針と短針が重なって、その間に挟まっていた嚢がぷちっと潰れてなかの液体がこぼれ出す、それをひっかぶる、みたいにまた新品の後悔がぼくに染みつく。こういう言いまわしを無限に量産しているとあと一五分の授業は当然のよーに終った。

 

「 こないださあ、」

昼休み、ご飯を食べおえて本を読んでいたぼくに、隣の席の彼は、どこで習得できるのそれ、と不思議に思えるほど爽やかな笑みで話しはじめた。部活のごたごた、部員だけじゃなくて顧問の先生も巻きこんだおおきな対立。おなじ学校のなか、けど絶対に踏みこめない領域のひとたちのドラマ。ぼくが持たない美しさの、代償としての苦しみについて。たいして彼がなんでぼくにそんなことを話したか。ぼくなんかに相談がしたかったわけではないだろう。たぶん、愚痴だ。ただの世間話だとは考えたくなかった。彼にとってそういうことがただの日常の一コマでしかないなんてことは。同い年の彼がそんな苦しみに慣れきっているんなら、話を聞いているだけでこんなにも悲しんでしまう、ぼくの精神はなんだ。

そんなことあるんだ、たいへんだねと、相手に合わせるように精一杯の笑みをつくりながら、できれば相手に不快感を与えないよう、極力言葉少なな相槌を打った。ひとしきり相手が喋りたおしたところで会話は終って、彼はなんでもない顔で机の上の参考書に視線を落とした、ぼくは頬杖をついてなんともなしに天井の角をながめた。教室の壁は自分の部屋の壁よりいくぶんか黄いろい、黄ばんでいるんだろーか。ながい時間がこの校舎にも流れてきたんだし。

ぼくにも十七年、きちんと流れてきたはずなのになと、伸びた左の指さきの爪をながめた。体は確かに変化していて、まわりの環境も変わっていて。なのにこころがまるで前進していないんだ。ぼくの焦燥がきらうのは学校でも世界でもこの街でもない、自分自身、そいつはここから抜けだそうとしている。無理なのにな。ぼくは呼吸をするように、ぼく自身の悩みの矮小さを、つづけてクラスメイトを呪った。呪い殺してやる、一人残らず。その気骨をうまいこと闘争心に変換できるんならとりあえず、浪人はしないで済む、というような気がしているけど。でも闘争心なんてスマブラ以外で沸いたことねーな。やっぱりむりかなー。

 

家に帰って、伸びた爪はとりあえず切った。あと暇つぶしに計算してみたら、センター試験まではあと二百七日、だそうだ。明日は雨が降ったら、学校を休もうと思う。