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まわる

中古で買った文庫本に栞がはさまっていた。片面には出版社のロゴマーク、その裏には名まえもしらない「 高名な学者」の名言が印刷された、ぺらぺらなやつ。じゃまだったので片手でぽいと床に投げたら、栞はくるくる回転しながら落ちた、その細長い長方形を縦に二等分する線を中心に、くるくる。それがおもしろくってぼくは栞をひろっては投げ、拾っては投げした。意外と、きれいに回転させるのにはこつが要った。有体に言えば気張ったらいけないということで、ぼくが最初にやったみたいにできるだけ無造作に、ぽい、というかんじで投げたらいい。それに気づいてうまく投げられるようになるまでに、七、八回くらいは要った。今はもう、ごみ箱に棄ててある。

 

思えばむかしっから回るものがすきだ。独楽とか、扇風機とか、床屋の看板とか、メリーゴーラウンドとか、たまに見かける一周十二分の時計とか、気づいたらじーっと見ている。フィギュアスケートも選手とか技術とかはよくわかんないけどやってたら観る。

 

ペンをまわすくせもある、といっても、大会とかのあるいわゆる「 ペン回し」じゃなくて、ペンの尻を机に置いて先を指に突き立てて、もう片方の指で力を加えてドリルみたいにまわす、っていう不格好なものだ。ぐるぐる、っていうよりは、ぎゅるるる、ってかんじの回転。ペンの印字とか輪郭がぼやけるのが見ていて楽しい。だいたい最後は机に倒れ込むので、ばた、という音がして、テスト中だと申し訳ないことになる。やっちゃうけど。

 

バレー部のクラスメイトが人差し指の上でボールを回してるのをみて、もっかいやって、って言って怪しまれたこともある。回っている最中よりも力をうしなってだんだん回転速度が落ちていくさまが、とても愛らしい。映画「 少林サッカー」でもラストシーンの、カンフー使いの女の子が指のうえでボールにすごい回転をかけていくシーンがすきだ。あと旋風脚のハゲ。

ちなみにクラスメイトは怪しみながらも計三回やってくれた。いいやつだった。

 

イヤフォンをカウボーイみたいにぶんぶん振り回して断線させてしまった経験もある。なんにしても先におもりのついたヒモというのは回すためにあるんじゃないかと思う。忍者になったら鎖鎌を使いたい。単純に鎖分銅でもいいけどやっぱり鎌ほしい。

でもいざって時に出してきて刀とか槍とかもってる周りの忍びに「 ええ……鎖鎌って……」みたいな反応されたら恥ずかしい。だって絶対だれも使ってない、鎖鎌。鎖鎌好きのぼくとしても考えたひとの正気は疑ってる。そんでそれがただの思いつきに終わらずにいまでも存在が知られているというのも不思議だ。鎖分銅の持ち手に刃物をつける発想はまだわかるにしてもそれが刀でも槍でもなく鎌ってのがまるで不可解だ。なんでわざわざマイナーとマイナーを掛けあわせたのか。もしかしたら家に刃物がそれしかなかったのかな。農民発のトレンドなのかも。忍者ってふだん農民が多いって言うし。

 

あとこないだ京都市立水族館に行ったときも、鰯のたくさんいて竜巻みたいにぐるぐる回るのに一時間くらい見入ってしまっていた。なんか、桜と鰯、とかいう特別展示で、あたりに桜を模した香料とあからさまなヒーリングミュージックがまき散らされていてすこし不快だったことを覚えている。

鰯の螺旋の軌道、それそのものより、ときどき通るエイとか、撒かれる餌とかにぶわっとかたちを崩すのにぼくは感動した。まるで機械に命令されているみたいにぐるぐるぐるぐる飽きもせずに回転しつづけるその一匹一匹が、やっぱり自己を持ったひとつのいきものだってことにひどく安心していた。五十分くらい、その水槽を見つづけてたと思う。途中から足が疲れて体重を預けっぱなしにしていたせいで、持っていた傘の軸が歪んでしまった。

 

そういえば傘も、誰もいないときを見はからってくるくる回すくせがある。雨滴がわーっと飛びちるのをみるのが楽しい。

 

プラネタリウムでもやっぱり星が回転するところがすきだ。「 ではもう少し先、今晩の夜空を眺めてみましょう」みたいなアナウンスが入って、時間が一気に進むところ。一個だけ動かない、回転の眼の北極星に視線をかためて、星がぎゅうっと動くのを、ぼんやりととらえる。

独楽の軸、扇風機のモーター、はじめ、回転の中心というのはなんでもすてきだけど、北極星ポラリスはまた格別だ。遠心力で端へ端へ吹きとばされてしまった、夢とか魔法とかそんなたぐいのものが、あそこには残っているというかんじがする。あー、プラネタリウム行きたいな。近所だとどこでやってるんだろ。