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雑記

書くことはとくにないけどなんとなくブログが書きたくなる。そういうこともある。

 

こないだ小説を書いた。なんとなく構想を練りながら、これ途中で投げるかもしれないなーと思ってたんだけどちゃんと終れた。一気に書いたのがよかったんだと思う。小説の文章を書くのはぼくにとっておそろしい苦痛だから、長続きするとすぐにやめたくなるんだ。ばばーっと固めてやってしまったほうが、疲れるけど効率はいい。勉強もそんな感じでできたらいいけど。まー、むりだよな。アクセス数とかレビューとかつかないからやる気出ないし。勉強のレビューってなんだ。

 

夕暮れにはにおいがある。日中窓を閉めきって部屋にいて、日が落ちて涼しくなってから窓を開ける、って生活を送っているとわかるようになった。ちょっとなにか焦げついたような、破滅的でさみしいにおいだ。

夏の夕暮れ不規則な風で窓から入りこんでくるそのにおいを、ぼくはずっとこの街のものだと思っていたんだけど、こないだ模試で、電車でに十分くらいのところにある大学のキャンパスまで行ったとき、夕方、駅までの帰り道でおなじにおいがした。どこ行ってもそうなんだろうか。外国ではどうだろうな。

そういえばぼくは外国で夕日というのを意識的に見たことがない気がする。それくらいの時間帯ってごはん食べるところ調べたりとか移動したりとか忙しいことが多いからだと思う。いつかひとりで海外に行ったら、夕日をちゃんと見て、ついでににおいも嗅いで帰ろう。

 

郵便屋さんは毎日午前三時半に来て、まあどうせぼくのじゃないだろう郵便物が郵便受けの底にぶつかる乾いた音と、バイクの唸り声と、残してまた別の家へいそぐ。それでぼくは、そろそろ寝なきゃなあ、とか、夜が明けるまで起きて散歩に出るか、とか考える。夏休みに入ってから染み付いてしまった習慣だ。ちょっと前まではそうでもなかったのに最近連日煌々と明かりの漏れているぼくの部屋の窓をみて、郵便屋さんはなにを思うだろう。なにも思わないか。ぼくが起きていることに、気づいてさえもいないかもしれない。

そういうことを考えていると、郵便配達というのは意外にふしぎな仕事だ。なんの面識もなくなんの興味もない家に届いた手紙とか荷物とか、たいせつに運んで届けるのってどんな気分だろうか。

バイク乗れないし体力ももたないだろうけど、ちょっとやってみたい。

 

もうちょっとで夏休みが終わる。それを思うと去年までなら日中から夕方みたいな感傷が襲ってきたりわけもなく走り回ったりしてみたくなったりして行くあてのない焦燥に振りまわされたもんだけど、今年はそんなのはなくて、ただただ実体を持った後悔だけがうかんできている。これとこれできなかったなとか。なんであれやっちゃったんだろうとか。

あー、思ったとおり、やっぱり今年の八月はおかしかった。迫力がないんだけど、ひどくいやらしい。いつもの八月が一匹の大きな怪物なら今年のは複数の虫みたいだ。なんか、カマドウマとか。複数って言っても群れって呼べるほどじゃないかんじ。四、五匹。

 

あー、学校やだな。家にいるのも飽き飽きだから夏休み終るな! とか思ってないけど、やっぱり学校はやだ。小学生のときからずうっと思っているのでもはや信念に近い。学校がやだ。