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火曜日/保健室

「 保健室行ったって先生に言っといて」

「 わかった」

三限目と四限目の間、九月六日最初で最後のクラスメイトとの会話を終え、るんるん気分をひた隠しに、ふだんから辛気くさい顔をさらに辛気くさくさせて教室を出る。完璧に踵がつぶれて外目にもスリッパじみてきた上履きがリノリウムのうえ、ぺたぺた鳴る。

この学校には陰湿な暗黙のルールがいくつかあって、そのうちのひとつが、先生とすれ違ったら挨拶をしなければいけない、というの。(仮)病人であるぼくであってもそれからは逃れようがない。ふだんよりきもち低い声、最低限の口の動きで言う「 こんにちは」は自分で言ってても外国語じみて聞える。こんにちは、よりもfurniture,に近い。

保健室のドアには見慣れない看板がかかっていた。そこでは幼稚園児に相撲で負けそうな顔した灰色のゾウが、養護教諭の不在を伝え、保健室をつかう場合は職員室に行くよう促している。しんどくないただただめんどくさい体をさもしんどいかのように職員室へ引っ張っていった。顔を合わせた先生に心配してもらうたびに騙しているような気がして申し訳なくなる。と、そこではじめて実際騙していることに気づく。誰にもみえない角度でちょっと笑う。

授業を受けたこともなければ名まえも知らない先生になぜか顔と名まえが知られていて親身にされ若干ビビりながら、鍵を開けてもらって保健室へ。ぼくがベッドに入ったのを確認して、じゃあ三限終わったら来るから、と言い残して先生は去って行った。すこしして四限目始業のチャイムが鳴る。ほかの生徒がみんな集まって授業を受けているなかひとりだけ誰もいない保健室で惰眠をむさぼらんとしている、その事実がすこしぼくを昂ぶらせて、もしかしたら睡眠を多少妨げたかもしれない。

保健室の夏布団は絶妙だ。それなりにしっかりとした布団なのに暑くない。冷房と打ち消し合ってちょうどいい。それにひきかえどうかと思うのが枕だ。固い。ほぼ石。寝て起きると三分の一くらいの確率で「 うわっ、石!」ってなる。それくらい固い。石。

石に頭を乗せ、洞窟で暮らし布団なんかない状態で寝ていただろうはるかな祖先に思いを馳せたり、まわりの音の耳を澄ませたりする。エアコンの唸りとときどき近くを通る先生の足音、国道に注ぎ込まれる車のエンジン音以外にはなにも聞えてはこない。千人単位でうるさい盛りの十代が集まっているのにここまで静かなのは不思議だと、保健室に来るたびに思う。まさか私語をすれば鉄拳が飛んでくるなんてことはないだろうし、どの教室でもそれなりに喋り声が聞えているんだろうけど。それでもすこし離れてしまうとこんなにも静かだ。それはかなり変だ。

頭はぐるぐる空転していても、目を閉じていればだんだん眠気が来て、考えごとの輪郭がぼやけてくる。

寝れそう。

寝た。

チャイムでもう意識は戻っていて、それでも先生が声をかけるのを待ってからもそもそ起きてくる。大丈夫か、はい次の授業は出れます。お決まりの応酬ののちに保健室を出る。ドアを開けた先は思っていたほど暑くない。もう秋か、と情趣に浸ろうとしてみるけど、昼休みの騒がしさがそれを許しはしない。

さっきまであんなに静かだったのに、チャイムひとつでこんなにうるさくなるなんて。やっぱり学校ってのは不自然なもんだなって、溜息つきながら、それでもその不自然の中に、ぼくはのろのろ戻っていく。寝てる間に前髪が変なことになってないかが、すこしだけ気になる。