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東京

 東京駅の角っこにあるスターバックスでスーツ姿と並んで本を読んでいたら、音程のないぼやぼやしたパイプオルガンみたいな音が急に聞こえてきて、なにかと思って耳を澄ませると、どうもそれは高速バスから降りて駅に一挙に入ってきた人たちの足音や声が駅の複雑で大きな空間を何度も何度も反響してかたちを失ったものらしかった。硝子と霧越しに、電波塔とビルがにじんでいて、名前を知らない通りへと大きなバスは立ち去っていく。でっぷり肥えたリュックサックが重かった。 

 

 東京は静かな街だった。音が少なかったり小さかったりするわけじゃないんだけど、騒がしさがない。雑踏の感触がほかの街と全然違って、粘り気がないというのか、ふつうならざわざわ耳に引っかかって来るはずの周りのひとの足音や話し声、車のエンジン音なんかが、ぼやっとしたノイズの集積になってさあーっと抜けていく。こういう感覚が長期間住んでいると「東京は冷たい街」という認識につながるんだろうし、ぼくも四日の滞在でそういう風に感じはじめていた。

 

 滞在中は父親の持っているマンションに泊まっていた。ぼくが小学2年生まで、父親、母親、姉といっしょに住んでいたところだ。それから10年経っていて、その間そこで父親がひとりで生活したり、誰にも使われず放置されたりしているからもうほとんど違うところみたいだったんだけど、ぼくが寝るのに使っていた部屋の襖の柄だけは記憶にある十年前のあの家と同じだった。そのことに気づいたのは二日目の夜だ。いつものことで安易な感傷に囲われてしまって、そんなものをわざわざ残している父親にちょっとイラっときた。

 いちおうそのマンションの周辺を一日目にうろついて、憶えているところがないか探してみたりもした。まあない。10年経てば街だってそりゃ変わるし、そもそも今のぼくと10年前のぼくとでは視線の高さがまるで違うから、変わってないところがあっても気づかなかったんだろう。ひとつ明確に記憶のまま残っていたのは広場にある変な形のオブジェだ。よくよじ登って遊んでいたから体のほうが覚えていたんだと思う。

 10年は長いなあと、思ったのは人と喋っているときもで、ぼくが関西弁を使いだしたのは東京から引っ越してきてからだったのであまり関西弁が完璧に馴染んでいるわけではなく、長らく相手が標準語なら標準語を、相手が関西弁なら関西弁を使っているつもりだったんだけど、今東京に来て標準語を喋る人と会話すると標準語と関西弁がけっこう混じる。生まれてから8年間東京で暮らしていたのでてっきり自分の日本語の芯のところは標準語で出来ているものと思っていたけど。そもそも芯なんてなかったんだろうなあ。

 

 帰りの新幹線は七時ちょうどで、春が引き延ばした昼がまだそこらにすこし居残っていた。でも疲れたせいか、普段の生活で言えば夜11時くらいの、もうあんまり何もしたくない時間帯の気分だった。歩きすぎて疲れたからだった。

 新幹線に乗る前に、皇居の濠の周りを2時間くらいかけてぐるっと歩いて回ったのだ。左側に松の木と石垣が、右側にはビル街が、曇った夕方の薄暗さでゆるい水色を帯びた霧に輪郭を奪われてだらだらと連なっている。その光景は東京の静寂とぴったり一致していて、ぼくはこれから東京と聞くたびにこの風景と静けさを思い出すんだと、ジョギングをする人に次々追い越されながら思った。まだ履きなれていない白いコンバースはまた少し汚れて、足は新幹線の座席の下でもまだ痛みを訴えている。窓の外にざらざら流れて、都心を離れるほどに減っていく光を見ていた。考えごとは減るどころか増えていく一方だ。ぼくはちゃんとやれるんだろうか。