近況

 なんとなく昼間見始めた映画が、ついたり消えたりして九時ごろ、ようやく半分くらいまで行ったあたりで、演出上の都合ではさまれた静けさに、釣銭が6枚落ちる音と缶のプルトップが起きる音とひとの咳、爪、たぶん人差し指の、が薄っぺらいアルミ缶をかつかつ叩く音が滑り込む。映画の再生を止める。

 それがぼくに聞こえたのはコカ・コーラの自販機がマンションの道を挟んだちょうど向かいにあるからで、映画を見ていても気づいたのはこの部屋の窓が開いているからで、窓が開いているのはクーラーが要らないくらい今晩が涼しいからで、涼しいのは夏が終わろうとしているからだった。

 八月は料理と飲酒ばっかりしていた気がする。何をした記憶が残っているわけでもなくて実際に何にもしていないんだろうけど生活の実感はこれまでになく色濃く残っていて、これはこれで、と思う。

 だいいち、会話の流れもなんもなしに思い出そうと思って思い出せるほど整った記憶になる出来事になんてなかなか出くわさないから、整った記憶がもしあるとするならそんなのはたいてい、あとで勝手に整えたもののような気がする。べつに思い出さなくて済むなら過去のことなんか思い出さなくったってよくて、重要なのはやっぱり過去からここまでに続いて寝そべる生活で、それがあってきて今もあるのを思い出すのに、こういう夏の夜の冷えた部屋の中はたいへん適していて、酒を飲めたらもう完璧に近かったけれどあいにく断酒で、ぼくの生活はそういう具合にしか今のところ厳しくない。ありがたいことに。