さいきん

 夜、映画を見終わる。これがなにせたいへん良かったのでパンフレットを買ってついでに映画館のポイントカードを作ってもらって、ともたもたしていたら目の前で帰りのバスを逃す。といっても風も雪もなかったから大して寒さを感じていなかったし、あと、映画がなにせたいへん良かったのでべつにイライラもしない。いっそ二時間かけて歩いて帰ってやろうかと思いながら、とりあえず四つ先のバス停まで歩いてみたらちょうどバスが来た。降りるときに運賃を払って分かったが、バス代に換算すると70円分だけ歩いたらしい。

 その映画というのがアレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』だったんだけど、なにせたいへん良かった。変な演出上の踊りとかだけではなくて、こまかい俳優の動きや人物のメンタルの流れもガチャガチャ不格好で滑稽で、笑えるんだけど、なめらかさを意識していないせいかなまぐさいリアリティがあって、痛いとか気恥ずかしいとか思っていた。俳優の動きについては、たぶんぼくが自分の日常動作を連続性がなくてガタガタだと自覚して恥じているから増幅されてるだけなんだろうけど。ただ心情や発言のコロコロ変化する滑稽さは青春映画らしいとかの言い方で安定させてしまえないくらいリアルだし、安定させたくなるくらい怖い。

 映画を最近はけっこう真面目にたくさん見ていて、将来的にはフランス語の勉強とかにも役立てたいなあと思っているんだがまだ年末に買ったDVDにはひとつも手を付けていない。近所のローカルシネマでやってる映画を手当たり次第に観ている。その中だとこの間見た『希望のかなた』はとても良かった。これも『エンドレス・ポエトリー』と同じく深刻だけどちゃんと笑える映画だけど、ただこっちにはあの深刻さと真っ当さから可笑しさがにじみ出てくる感じというのはなく、ユーモアが直接的に絶望に対する武器みたいに扱われているお話で、分厚いんだけどスッと入ってくる軽快なお話だった。人の善意がちゃんと実を結ぶことほどの救いはない。

 それで、バスの中では保坂和志の『言葉の外へ』を読んでいたんだけどこれもすごくおもしろい。17歳のいちばん暇でなにかとやる気のあった時期に結構熱中して読んでいた作家だけにやっぱりしっくりくるし、いちおうずっと小説を書きたいなあ書きたいなあと思っている身としては、書く気が起きるとかいうのでは全然ないんだけどなんというか覚悟の固まる話がたくさん載っている。ただまあ実際にはちっとも書いてない。

 映画と小説の話をしている流れでついでにそのまま書きたいんだけどついこないだ出たPeople In The Boxの新譜を、買ってからずうっと聴いているがほんとうに音がよくて、『動物になりたい』のイントロのギターが聞きたいとか『無限会社』のBパートのベースが聞きたいとか『夜戦』の拍子が変わるとこが聞きたいとかチクチク細かいところを聞きこんでいたらどんどん時間がたっていく。さっき保坂和志の話で17歳のとき熱中してたものはしっくりくるとか書いたけどPeople In The Boxこそその最もたるもので、とにかくピープルばっかり聞いていた時期があったもので端から端まできっちり馴染んでいて、でも今回の新譜は全部耳に新しい。とにかく全部メロディがいいんだけど特に一曲目の『報いの一日』と『ぼくは正気』とは演奏がボーカルを前に出して一歩後ろに下がってる感じで声が細かくよく耳に入る。波多野裕文の歌いかたがずいぶん人懐っこくなったというか、たぶん歌詞が前よりスムーズにメロディに沿ってるのもあると思う。

 そういえば最近小説を集中して読む能力がかなり戻ってきていて、音楽に耳を澄ます時間が増えたのとこれは関係があると思う。吉田健一の『時間』(けっきょくまだ半分も読んでない)のどっかでたっていく時間を意識するのには聴覚を意識するのが手っ取り早いみたいなことが書いてあって、保坂和志の小説論の内容がもうちょっとちゃんと頭になじんでいればこれと文章を読むのとをスッとつなげられたりするんだろうけど。再読したいものも含めて読む本がどんどん増えていくのは、いつも必要以上に慌ててしまうので忘れるけど、ほんとうはとっても喜ばしい。