若者のすべて

8/6

 さいきんはまたハヌマーンとかナンバガとか聞いている。夏だからなんだろうか。たしかに炎天下を歩いて熱気にキレていると山田亮一のどうしようもなく駄目な感じの歌詞も向井秀徳テレキャスターのギラギラした音もすごくフィットする感じはあるが。それだけなのか。またあのころのように、致命的にとすらいえないほど、漠然とぐだぐだと、なにかがだめになりかけているんじゃないだろうか。漠然とそんな感じがしていた。

 祖父の法事があさってにあるんだけど家族は祖母と母しか集まらないらしくて、それじゃちょっとさすがに少ないだろうと思ってなんぼかの無理を押してあした帰省することにしたら母親から感謝のLINEスタンプが贈られてくる。家に帰るだけで、ありがとうって、変な話だと多少さみしくなったりもし。まあそれはいい。

 そういえば最近は佐々木中をよんでいるんだけど抜群に話がうまくて熱中できるし元気が出る。『夜戦と永遠』もウンウンいいながら学校の図書館でなんとかちょっとずつ読み進めている。そういえば高校生のとき読みもしねーのになんとなく買った『ツァラトゥストラ』もこの人の訳だったので引っ張り出して帰省に持っていくことにした。

 というわけで本は比較的読めている。じゃあ一体、なにが。

 

8/7

 ゆっくり起きて二度寝して、くらい室内で昼間だらだらして、あわてて出かけて、サンダーバードに乗って帰省した。トイレから戻るさい右ひだりの席をながめていたが誰しもスマートフォンの画面をなでていてそうでなければPCでネットフリックスだかなんだかしらんけど映画を見ているというかんじだった。ただぼくの隣の席の70くらいの女性の手にはなにもなく、ときどき左隣の息子らしき男と会話を交わすか、窓をみて、ぼくが降りるまでの2,3時間を過ごしていた。ぼくは磯崎憲一郎の『世紀の発見』を、そういえばこれも佐々木中の文章に出てきたからなんだけど、読んでいて、山の陰にかくれたずいぶん遅い夕日のいろをときどき見ていた。いまから久々に会いに行く、母や祖母に、報告したおもしろいこと、過剰な脚色や真っ赤な嘘まで、いろんなことを思いだした。

 近鉄急行に乗り換える。磯崎は読み終えてしまう。あと20分で実家の最寄り駅につく。MP3プレイヤーでは「ハ」ヌマーンがおわり、「バ」ズマザーズもおわり、漢字にうつって空気公団がながれている。日もすっかり落ちて、窓のそとに見るべきものもないと思って視線は車内の気になる数人のあいだをじゅんぐりにまわっていたが、そのうちのひとり、向いの席に座っていたスーツ姿の大きな顔が背後、つまりぼくの視線の奥側の窓を向き、そういえば車内の誰もが同じ方向を向いて、声を上げているのがイヤホンをこえて聞こえてきて、その視線の先には花火が上がっていた。いくつもの花火が重なり合って、あっちが消えればこっちが上がって、ぼくもイヤフォンをはずし、声を漏らした。

 数秒で花火は右へと流れて行ってしまう。スーツ姿も、制服姿も、着飾ったのもそうでないのも、また手元や互いの目、いちばんちかい窓へと視線を戻しつつもなんとなくそわそわした感じがのこっているのを共有していた。ぼくはこのなかのだれかと目が合えばいいと思ったが、だれしも自分のことでいっぱいだった。べつにがっかりもせず、目を閉じればなかば忘れていた、ひさしぶりに聴く曲が流れている。すべてはこの予兆なのだとするならばここ数日のやな感じが正当になって、それはいつかぼくが、ただの逃げだと思っていたことで、でも、おかげで犯人捜しの手間は省け、なにも憎まずにすみ、それならそれでいいと思った。

 目を閉じたままですこし笑ったけど、よそからみれば多少、不気味だったかもしれない。