料理や洗濯や家事のめんどくさいアレコレを母親に一任できたら小説もさぞ進むことだろうと思って長いこと帰省しているけど今日なんかレポートが終わった解放感に任せて買った1000ピースのジグソーパズルを匿名ラジオを聞きながらつくっていただけでまる一日過ぎて夜中になってしまうなど、家事をノイズと認識してキャンセリングしたところぼくの時間を使うのがメチャクチャ下手なところが鮮明に現れでるばかりという結果に陥って毎日おれは今もしかしたら小説を書くべきじゃないのかもしれないおれはまだまだ右も左もわからない若造なのだからみたいなスケールのでかい諦めにつつみこまれて小説を書きもせず読みもせずオモコロライターの私生活について加速度的に詳しくなっていく。

 ジグソーパズルってよく推理小説とかで思考の組み立てのたとえに使われたりするけどこの遊びに有用なスキルがそうやって他の何かに役立ったりするところは全く想像できない。もうひたすら心を無にして同じ色のピースを集めまくったりひとつひとつのピースの柄が全体像のどこと対応しているのか確認するだけの作業だから論理的思考力は一切必要ないし、「パズルのピースが嵌ったような」って梱包材のプチプチをつぶすくらい身体的な気持ちよさじゃないか。比喩する先のイメージに引っ張られてなんだか頭のいいひとのやるカッコいい遊びみたいになってるけどこれほんとは手が動いてるとなんとなく空白の時間を埋められて安心できる類のバカ向けの遊びだと思う。つくってるのはドラクロワの民衆を導くなんちゃらだけど前作ったバベルの塔に比べるとのっぺり塗ってあるだけの箇所が多いから手で試行錯誤するしかなくて結構めんどくさい。

 この文章もただ手が動いてるだけで書けているからジグソーパズルと頭の使いかたはあんまり変わらない。小説を書くときはもっとちゃんと頭が使えているのでふつうになんかの都合で頭が回らなくなってきているのかもしれない。糖分が足りないのか。明日の朝のぶんのドーナツをたべて寝る。