五月

 音楽の途切れた部屋になにか生きものの息遣いみたいな音があるのに気づいて、皿を洗いながらちょっと怖くなる。洗濯機の回っている音だと気づいたときには逆にもっと怖くなった。ついさっき自分で回したのに忘れていた。来てすぐ、自分で洗濯をすることに慣れていなかったときは洗濯機が回っていると落ち着かなかったもんだけど。本棚に教科書が並び、適当に買って合わなかった枕が変わり、引っ越しのときの段ボールがこの間やっと回収に出て、この部屋にもいいかげん、それなりの時間が堆積している。いつの間にか。四月はじめに切った髪もずいぶん伸びて、たぶん人生でいちばん長い。時間。時間のこと以外はできれば考えたくなかった。

 

 おとといは人が酒持って遊びに来て、案の定酔っぱらって、起きたら昼前で、午前中しか授業がないから選択の余地なくきのうは全休になった。着替えたら実家から送られてきたカメラをもって、電車に乗って知らない街に行って給水塔とかの写真を撮ってきた。べつの県まで行ったから往復で1600円くらい交通費がかかって、完全に無駄遣いなんだけどこういうことにお金が使えなくなったらなにかだめな気がしたからケチらなかった。

 写真は不慣れなせいでびみょうなのしかない。おもしろい風景だと思ってパッて撮ったやつも帰ってから見返すとなんだかよくわかんない写真になっていて、撮った時の気持ちというか時間の流れ方がちゃんと戻ってこない。でもそうやって出来を気にせずにとりあえず撮っていたってことはあんまり無駄なことは考えずにすんでいたわけで、写真撮るのはけっこう精神にいいかもなあと思った。本読まなくなったんだし写真くらい撮っとくかとか、読書から離れつつあることを受け入れてしまえる自分になんとなく落ち着かない。

 

 毎日のように人と話して、頻繁に遊んでいる。自分について考えることが減った。他人のことをちょくちょく考えるようになった。本をあまり読まなくなった。下劣な話でも満足できるようになった。前よりよく笑ってる気がする。日に日に一人でいることに弱くなる。たぶん人間らしくなったんだと思う。でも素直に喜べていない。なんだかんだいってぼくは以前の人間らしさの欠如した自分が好きだったような気がして、あんまり好きになれない今の自分でもまあそれなりになんとかなっている現状が耐えられないというか信じられなくて、「過去の自分に笑われそうで怖い」みたいなことは言わないけど。人との交流で弱ってる大学生の苦悩とか、どうせ好きだったし。今もちょっと好きだし。そういうぼくのことは嫌いで、嫌いになれるくらいには自意識がしぼんでいるらしい。とりあえずはそれが怖い。怖いというか不安だ。ほんとうに不安だ。