咀嚼
先日、歯医者に行って虫歯を直してきた。計三本。ついでに歯石も取ってもらい、磨き方が雑だという注意もいただいた。ぼくはむかしっから歯について無頓着だ。適当な歯ブラシと適当な歯磨き粉で適当に磨いている。
毎日使うものなんですから、って先生は言ったけど、歯をものとして見るなら、悪いのはぼくじゃなくて毎日使うものなのに手入れによって使えなくなってしかも買い替えのきかない歯のほうじゃないのかとか、屁理屈をこねまわすだけこねまわして、もちろん、口には出さなかった。
出そうにも、口にドリルが突っ込まれてしまったし。
何年か、結構長い間、歯医者には検診にすら行ってなかったから、虫歯治療のプロセスには改めて驚かされた。駄目になった部位を取り除いて人工の素材と入れ替えるって、それだけひっこ抜いて考えると人工臓器みたいな技術となんら変わらないように思える、けっこう重大な施術だなって。
五千円ちょいの手術は、ほんとうにちょっとした痛みとともに二十分足らずであっけなく終わって、ぼくのからだは一部が人工のものと置き換わってしまったけれど、たいして違和感なんかはなかった。せいぜい、下で虫歯だったところをさわったら他よりすこしざらざらしてるとか、それくらい。自分の肉体、なんて意外と取るにたらない容器程度のものなのかもしれない、なんて思ったりした。
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ネットで本やアニメの感想を長々と書くのを、ちょっとやめてみることにした。読書メーターの感想はみじかく、書くか書かないかもまちまちにして、ブログは完全に日記として使って、Twitterでももちろん控えて(まあリプライで話ふられたら答えるのは答えるだろうけど)、って、とりあえず半年くらい続けてみようって。
理由はいろいろ。テンションの高い自分の文章を後で見返すのがやだとか、感想をながく書いた作品ばっかり自分のなかで印象が陳腐になってしまっている気がするとか、ことばで言い切ってしまうとほかのひとの感想を受容しづらくなってしまうんじゃないかとか……。
いちばん大きいのはたぶん、「自分の本来の感想が、書くことで捻じ曲がってしまってるんじゃないか」って疑念だと思う。インターネット上のほかのひとの感想とか、りっぱな感想にするぞ、一貫性のある考察にするぞ、なんて自分自身の作為によって、文章を書いている途中でわざと自分の思ってないようなことを書いてみたり、自分の本来の感想を誇張したり真逆にしたり、なんてことを、半分無意識でやってしまってはいないか、怖くなってしまった。
ぼくは前にも書いたようにものに対して強い感情を抱くのが苦手で、それはもちろん小説だとかアニメだとか映画だとかに対しても例外じゃない。だから感受性が貧弱で、簡単に外部的な要因に捻じ曲げられてしまう。
それを防ぐために、まずアウトプットをやめて、感想を自分のなかで曖昧なまま守っておく、というのはそれなりに有効な手段だと思った。
抱いた感想が恥ずかしくったって、まわりから見れば間違えていたって、文章にして外に出さなければ気にしなくていい。まずはその気にしない態度を内側から慣れていって、いつかそれが固まって来たら、また文章にしたり、口に出したりしてみるのもいいと思う。
たとえぼくの感受性が傍から見れば虫歯みたいに腐りきった、痛いものだったとしても、そこだけ削り取って歯剤で埋めて、なんて芸当はできないし、しちゃいけない。必要なのは黒ずんだ醜い感受性でも堂々と見せつけて、白い歯に怯まないようにすることだ。
それができるようになるまでは、口は閉じていよう。と思う。