くだ

中学の頃からの友達とひさびさに会って、出かけ先でいろいろ話した。

あっちには夢があって、そのためにいろんな苦労をして、学校もやめたりした。苦手な長期的な計画とか、同年代のまわりにいない孤独とも、がんばって戦いながらちょっとずつ自分の場所を作ってるらしい。

そういうのを聞いてるとどうしようもなくみじめになってくる。ぼくには夢がない。目標もない。そこまでなにかを求める気もちがない。たいした苦労もしてないし友人とか知り合いもいて、でも彼らが用意してくれるすてきな場所のかずかずのどれにもぼくは身を預けられない、苦労をしてないって負い目とか、ここにいちゃだめだって焦燥とか、理由はいろいろ。

計画性はないけど地に足つけてしっかり歩いてる友人の熱っぽい話に、計画たてる余地もないくらい宙ぶらりんのぼくがあいまいな相槌をうつ。どうすればこいつみたいになれたかとずっと考えていた。答えは出なかった。

友人は用事があるからってちょっと急いで帰った。ぼくも勉強しなきゃいけないって、思ってるはずなんだけど、本屋に寄り道した。べつに何も買わなかった。そんなに読みたい本もなかった。ミスタードーナツがちょっと遠いので、代わりにコンビニでドーナツ買って食べた。そんなに違いもないように思った。

 

むかしからぼくは怠けっぽい。だいたい途中でやめる。ピアノ。水泳。書道。演劇。習い事は長く続かない。なにかしたいってたぶんあんまり思わない。なんかのきっかけで始めた、その惰性で続けてその力が弱まったら終り。なにか技能を身につけたいとかなにか知りたいとかもたぶんあんまり思ってない。自分がどんな人間でもかまわない。恥ずかしいのは嫌だからみすぼらしくないように強がることだけはする。最低限。他人にどう見られるか気にするのも、他人に嫌われたりしたらめんどうだからって気もしてる。

それに、これが好き、これが得意って誇れるものもない。読書、アニメ、ゲーム、あげようと思ったらあげられるけど。暇つぶしだ、全部。ほかのことでもかまわなかった。ただ比較的そういう趣味のほうが体力使わずに済んで楽だからって選んだ。不誠実。賞賛すべきいろんな芸術作品を片端からただの時間つぶしに消費する。楽しかろうがつまらなかろうがそんなのはきっと底の底ではどうでもいい。ツイッターに書き散らかす感想なんてのも、暇つぶしの延長だ。すてきな作品に触れてなにか感じた、ふり。だれかの考えに共感した、ふり。作品に向ける感情が足りてないから深く知ろうともしないしなんか網羅しようともしない。金かかるし、金ないと面倒だし。

なにか欲しいって思うことも少なかったと思う。例えばそれこそ居場所とか。欲しいなって思うことはあるんだけど必要とされる努力の量を考えるとべつにいいかって思う。そんなに欲しくもないし。そう思って途中でやめる。何になりたいとかもおなじだ。

怠惰の原因はたぶん根本的な感情の欠如。なにかを好きとか嫌いとかあんまり思えない。好きなものを引き寄せようともしないし嫌いなものを遠ざけようともしない。だから苦労が要らない。大学は行けるとこでいいから、勉強は適当でいい。人間関係は最低限でいいから、目立たなくていい。人生は、人生は、息できてたらいいから。その場合どうしたらいいんだろう。っていうか、息も、どうだろう。

でもなにもかもがぼくに無反応で通りすぎていくのだけはどうしても耐えられない。だからこんな散らかった文章をネット上に公開して「 共感」をもとめたりして寂しさを紛らわす。でもそれだって現実世界で仲間を作って話を聞いてもらうっていうようなことにくらべたらひどく小さなことだ、寂しさを紛らわせたいって気もちすら、ぼくには。

怠惰だ。なんだそれ。なにに感情を向けもしないでただ飯食って寝て。なんのために生きてるのかなんて考えたこともない、めんどくさいし。死ぬのも同じ。

きっと生きてるとも死んでるとも感じれてない。生きがいとかたぶんない。きっかけがあって生まれて、惰性で生きつづけて、それが弱まったらたぶん生きるのおわり。習い事とおんなじだ。そんなの人間の生きかたじゃない、機械かなんかみたいだ。人間性が足りてない。何にもする気ない。どうなる気もない、極端はたいへんそうだし平凡はめんどくさい。でもいっちょまえにそーいう空虚を嘆くことだけはする。風が通ったらひゅうひゅう鳴くパイプかなんかに似てる。それで、それでなにがしたい。わからない。こんな文章書く意味も。でも誰に読まれないのはすこしだけ寂しい、気がする。

気、だけが。