整理

「部屋」というタイトルの記事にしようと思ったんだけど、おんなじタイトルで前に書いてたので、やめた。まだ一人称に「私」を使っているころのやつだ。読みかえすと恥ずかしい。思えば、ずいぶん性分に合わないことをやっていた。なにも言いたいことなんかないのになにかを言おうとしたり、自分の暢気さを押し殺してむりやり思いつめようとしたり。何にしても、気負い過ぎていたんだと思う。

 

部屋があんまり汚いもんだから片づけることにした。もうほとんど忘れてしまいかけている数日前の憂鬱に、とどめを刺すための気晴らしみたいな意味も込めた、年末の大掃除だ。まあそんなにたいそうなものはできないんだけど。落ちているものをあるべき場所に戻して、捨てるものは捨てて、掃除機をかけて。本来ならふだんからこまめにやらきゃいけないことをまとめてやるだけのこと。

汚い部屋を汚くない部屋にするのは簡単だ。一瞬で終わる。床に落ちているものをひろって片づけて、片づけがたいものはとりあえず部屋の隅に追いやれば、見たところ汚くはない、という状態にはとりあえず持って行ける。問題はそのあと、汚くない部屋をきれいな部屋にする作業。これがめんどくさい。ようはさっき大雑把にやった片付けの仕上げ作業なわけで、地味だし長い時間がかかる。疲れてくる。しんどい。あんまり爽快感がない。気が滅入る。凝り始めるときりがない。でもまあ放っておいたら部屋が勝手に片付くわけでもなし、仕方なくだらだらやったら半日かかった。手際が悪すぎる。

 

しかし、片づけてあらためて思うことだけど、部屋がダサい。家具の色はバラバラ、位置は適当、カーテンもカーペットも薄汚れている。そもそもコンセプトからして散らかっているのでいくら片づけてもどうしようもない。部屋は人の心を映す鏡って話、あれはやっぱり本当なのかもしれない。物が少ないのに常時散らかりっぱなしのこの部屋は、感情の波が小さいのに情緒不安定なぼくにそっくりだ。

あー。自分語りはやめよう。

 

片付けが終ったら本を整理した。というか、減らした。つまらなかった本を、おもしろいけどよく憶えていない本を、憶えてるけどもう読まなさそうな本やらまた読むだろうけど確実に図書館にある本、買うだけ買って興味の薄れた本まで、片っ端から古本屋に送る段ボール箱に詰め込む。ついでにCDもいくらか。

下宿に引っ越すことも考慮に入れながら、いくらか寂しい思いもしつつ取捨選択をしたせいか、けっきょく、手元に残るのは、漫画と活字の本と写真集とぜんぶ合わせて、五十冊にもならなかった。積読のほうがなんならちょっと多い。

ほんとうに自分に収集癖がなくてよかったと思う。もしあったら、読書趣味から本を収集して、アニメ好きからフィギュアやポスターを集めて、特撮おもちゃをコレクションして、とにかくもうキリがない。ただでさえ整理整頓ができないのに、このうえ部屋のものが増えたりしたら。考えるだけで脳がぞわぞわしてくる。

 

稲垣足穂一千一秒物語」、田村隆一「詩集1999」、レイモンド・チャンドラー「さよなら愛しい人」。今年買った本のなかでは、村上春樹ダンス・ダンス・ダンス」、レイ・ブラッドベリ火星年代記」、とか。手ばなせない本がちょっとずつだけど増えて、年始の本棚の空白はだんだん埋まっていく。いつか新しい本を読むことに疲れてしまったら、そういう本だけを繰り返し繰り返し読むことになるのだと思う。それは悲しいことで、ちっとも輝かしくはないけど、わりかし、楽しくて清潔そうだ。その未来のために本を読むって考えてみるのも、まあ、悪くはない。

最近はあんまり読書に時間が割けていなくて、寝るまえに上にあげたような本をちらっと読むくらい。でも受験が終ったらまた一日二三時間くらい使うことになるんだろう。

読んだ冊数とかどうでもいいと素直に思えるようになったらいいなあと思う。読書なんかぼくにとっちゃただの暇つぶしなわけだし、暇になったら、気が向いたらやろう。そんなもんでいい。

何にしても、気負いすぎないことだ。