卒業

 駅の切符売り場で、ぼくは財布をさがして鞄を漁っている。探す時間が長引けば長引くほど、ああぼくはかっこわるいなあと心底惨めな気持ちになり、焦るというより脱力してしまい、さらに見つけるのが遅れていく。イヤフォンから流れてくる8ビートにイラついている。

 なんで切符買うだけでこんな惨めな気持ちにならなければいけないんだろう。ひどい理不尽にさらされたときの表情で財布をポケットに、半分開いた折り畳み傘を左手、切符を右手に持って改札へ向かう。そういえば今ぼくは切符を買うとき運賃表もなんも見なかった。自転車通学だし満員電車は嫌いだし、よっぽどのことがない限り電車なんか乗らなかったと思うけど、それでも登下校で買う切符の値段は憶えてたんだから、まあほんとに、三年間という時間のどんだけ長いことか。考えるだけでうんざりしてしまう。ホームのベンチで鞄を開いて、最後のHRのきったない上履きを入れたビニール袋に、適当に畳んだ折り畳み傘を突っ込む。濡れた折り畳み傘を持ってうろちょろするのが嫌だった。あれはほんとうにかっこわるいとか言うレベルではない。

 

 扉は開いて、どろっとホームへ溶けだす車内の生ぬるい空気に最後のHRのやかましさが甦ってくる。そこからするっと抜け出して帰路についているぼくと一緒に電車に乗りこむ学生服は一人もいなくて、そのことに優越感をおぼえてしまう自分がきらいだ。二駅も乗らないのに座席に座る。

 窓の外で雨足が強まる。もっと長く教室に留まっておけばもうちょっとこの帰り道も感傷的になれたかなと、若干の後悔をおぼえたり、やっぱりそんなことないか、と思いなおしたりしていた。最後の最後で写真に映るのを嫌がったり泣いている同級生に向かって口を滑らせたりするほうがよっぽど感傷的になれなくなる。こうやってするっと帰って「あいつはそういうやつだから」とか言ってもらうほうが、まあ、なんぼかましだ。

 しかしまあ感慨もクソもない。高校生活を振り返るみたいなことはなんなら毎日やっているからいまさらするまでもない。窓外に流れていく景色はただの住宅街で愛着もなんもあったもんじゃない。というかそもそも高校にあんまり愛着がもてなかった。高校にいる人たちに対しては、むしろ意識的にそういう感情はもたないようにしていた気がする。よく分からない。よく分からなくなってきた。

 

 五分くらい、いまいち馴染みのない駅のホームで乗り換えを待っていた。寒くて、イヤフォンをつけたままマフラーを巻いたら変な感じになった。ホームの椅子に座って、文芸部の後輩がくれた雑な寄せ書きとプレゼント(布のブックカバーとペン)、卒業証書にひっついていた担任の先生からのメッセージを確認し、鞄にしまってあとは音楽を聴いてぼやっと、最後のHR、いつもより多い先生と保護者まで入って人口過密の教室で見た、なんやかんやで見慣れた顔を思いだそうとしたり忘れようとしたりした。卒業証書授与式そのものはもう徹頭徹尾寝てたので忘れるまでもない。

 そのとき何を考えていたかちゃんと覚えていない。なんか、三年も同じところにいればぼくみたいな社交性に欠けた人間でもいくらかの人間とはかかわりが生まれて、そういう人たちはぼくに、良かれ悪しかれ多かれ少なかれ、まあ何らかの感情をぼくに向けてくれていたはずで、でもそれをぼくはぜんぜん感じ取れなかったなとか、そういうことだったというのはなんとなくわかるんだけど、そういう事柄に対してどういう感情を抱いたのかが記憶にない。いまそういうことを考え直していたんだけどなにも思えない。だったらそのときも何も思ってなかった可能性が高い。

 

 帰りに駅前のチケット屋で東京行の新幹線の切符を買った。東京には小学2年生くらいまで住んでいたから、憶えているところをいろいろまわって、あとは観光をして友達と会う、くらいのことをして合格発表の日には帰る。ぶっちゃけべつに用事はないし、特別行きたいわけではないんだけど、だいたいぼくは出かけた先で考えごとが捗るから、新生活が始まるまでにどこでもいいから一回旅行をして、頭の中を整理しておこうと思ったのだ。

 チケット屋からバス停までは結構な距離があったけど、もう雨に打たれることにした。鞄の中に入ったビニール袋からグチャグチャの折り畳み傘をもたもたしながらとり出す自分の姿を思い浮かべたら絶望的な気分になったからだ。雨滴はもうずいぶん大粒になっていて、頭皮に直接ぴしぴし当たるのを感じた。制服が濡れてももう気にしなくていいと思うと、若干開放的な気分になる。